ココロの荷物のおろしかた

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■パチンコ依存症とは?■

◆パチンコ依存症を考える―パチンコ依存症者の抱える問題◆
【パチンコ依存の典型的症状―金銭問題】
【家族との問題,そして家族の問題】



● パチンコ依存症者の抱える問題

【パチンコ依存の典型的症状―金銭問題】

アルコール依存症が深刻化すると肝機能障害を起こすように,ニコチン依存症で慢性気管支炎を起こすように,パチンコ依存症者に典型的にみられるのが金銭的な問題です。

パチンコ依存症に陥った人が,依存症からの脱却を決意するときは,
必ずといっていいほど金銭問題が絡んでいます。

というより,金銭的に破綻するか,破綻まではいかなくても何かしらの問題(貯金を使い切る,他の支払いの金をパチンコに使い込む,家族の金を黙って持ち出すなど)が発生しないかぎり,パチンコを止めようなんて考えもしないことが多いのです。

しかも,たちの悪いことに,この症状は本人が目をつぶることが可能です。

アルコール依存による肝機能障害であれば,本人が体調不良に苦しむわけで,もちろん,生活費を酒につぎ込んだり,家族に暴力を振るったりして周囲に迷惑を及ぼすことはありますが,身体不良自体はどうやっても本人が引き受けざるを得ない問題です。
しかし,パチンコ依存のこの症状は他者に解決を押し付けてしまうことが可能なので,
本人がなかなか問題を直視せず,更に深刻度を増してしまうことが往々にしておこります。

一度借金を経験すると,まるで限度額までは自分が自由に使ってもいいお金のように錯覚します。

ギャンブルをしていて有り金を使い切ってしまい,あと1万円でもあれば…と思ったとき,借金の枠がまだ10万余裕があったとしたら。
「あと少し,1,2万だけ借りて,勝ったらすぐに返せばいいんだ…」
そう思うようであれば,限度額いっぱいになるまでに大して時間はかかりません。

そして,借金というものが意外に簡単にできてしまうと知ると,さらにどこかから借りる手段を考えるようになります。

借金の額が,たとえば月々の小遣いの範囲から半年程度で返せるようであれば,またはボーナスで一括返済できるようであれば,まだ傷は浅くて済むでしょう。

でもそれが,無理なく簡単に返せる額ではなくなったとき。
ギャンブルに対してある変化が起こります。

「ギャンブルをやめたら借金を返せなくなる」

そんな矛盾した心理が生まれるのです。

〔英世が諭吉に変わるから〕

こういう心理状態に陥る人は,まず間違いなく数千円が数万円になる「大勝ち」の経験をした人だと思います。

人間はもともと,都合の悪いこと,不快なことは記憶から消し去ろうとする生き物です。

軽い気持ちで使った数千円が,数倍,または数十倍になって返って来れば,それまでに負けた何倍ものお金のことを忘れるのは―あるいは,誤魔化してしまうのは―とても容易です。

その経験,その味わった心理状態が,パチンコで作った多額の借金をパチンコで減らそうとする,矛盾した思考回路を生み出します。
更に言えば,時間の経過,自分自身の慣れへの自信もあります。

―自分は借金を作った頃とは違う,目押しや設定の推測も上手くなったし,冷静な立ち回りができれば,今までみたいな馬鹿な負け方はしないんだ―

およそ冷静な判断とはいえない希望的観測によって,借金返済という大義名分の下,
ギャンブルに向かうことになります。

まれに,こういう状態から本当に勝つギャンブルをするようになる人が皆無というわけではないのですが,
大抵の人はそのままずるずると借金を増やすハメに陥ります。

借金が増えれば増えるほど,返済しなければというプレッシャーに追い詰められ,さらにパチンコへ行く時間が増え,投資額が大きくなり,パチンコに行っていないときでも頭の中は昨日の負けを取り戻すための立ち回りの算段でいっぱいになります。

普通に生活や仕事をしていては返せない,という不安から,かつて一時的に大金を手にした経験にすがってしまい,大金を得るための手段はパチンコしかない,という心理状態に陥ってしまうのです。

〔ギャンブラーは吝嗇家?〕

また,生活の基準がパチンコになってしまうと,今度は矛盾した経済状態が生まれることになります。

吝嗇家―すなわち「ケチ」だということです。

ギャンブルをする人は金銭感覚が壊れてる―と思われがちですが,意外にも日常生活の金銭感覚は非常にシビアだったりします。

パチンコには何万でも際限なくつぎ込むくせに,服や靴,その他の遊興費や交際費はケチるようになります。もっと極端になると,日常の買い物では500円でお釣りの出る昼食や,数円でも安いスーパーでの買い物でけちけち切り詰める,二重経済の状態になります。

これについて,個人的には完全な二重経済状態だったのですが,他の方はどうだったのかと思い,禁パチ☆軍事戦線の一部の方にご協力いただきアンケートをとらせていただきました。

パチンコ以外の支出については,大雑把には
<@細かく気にせずほぼどんぶり勘定>
<A万単位の買い物はケチったが日常生活の細かい支出は大雑把>
<B日常生活費まで細かく切り詰めた>
というようにタイプが分かれ,比率としては
  @:A:B=1:3:4
程度でした。

個人的には思ったほど極端な二重経済の人は少なかった印象ですが,他の遊興費や交際費はもちろん,衣・食・住のうち衣・住までは二重経済化している人,というのはやはり多かったようです。

もちろん,収入の程度や借金の有無など,諸条件が異なりますし,そこまでの背景を含めて訊ねたものではないので一概には言えないのですが,衣・住まで侵食すれば最後は食しか残されていないわけで,ほとんどの方が最終的には極端な二重経済化に陥っていたであろうことは容易に想像できます。

そもそもギャンブルは,賭けたお金を増やすことが目的であり,悦びです。
増えたお金は,更なる満足を買うため(普段はできない豪華な食事や,遊興,贅沢品の購入など)に使われてしかるべきなのに,ここでは生活での満足を削ってまでギャンブルで満足を得ようという矛盾が生じています。

一人,非常に象徴的な言葉を書かれた方がおられました。

「1000円札を崩すかどうかという場面では、ガマンした方が多いかもしれない」

これは,吝嗇が他の支出を捻出するためのものではなく,パチンコの資金を確保するためのものだったということを端的に示しています。
日常生活の満足を得るよりも,次のパチンコの為の資金を失うことの方が(わずか千円札1枚にもかかわらず)大きいのです。
この千円が,もしかしたら万札に変わるかもしれない,という願望から離れることができません。

ただし。

たとえそれが万札に変わったとして,いえ,たとえ10枚,20枚の万札に変わったとしても。
一時的に買い物や支払いなどはするかもしれませんが,結局そのうちのかなりの金額が次回以降のパチンコの資金に消えていきます。

借金の返済に充てるつもりだった分でさえ,いつの間にか目減りして最低額となり,残りは「もっと増えるかもしれないから」という,やはり希望的観測の下,次のパチンコの種銭となります。
「今度勝ったらやめよう」などという誓いはあっというまに「もう少しだけ勝ってからやめよう」に摩り替わります。

結局,生活費を切り詰めて浮いたお金は,本人の自覚の有無に関わらず,ほぼ純粋に「パチンコをするという行為」のためだけに浪費されていきます。


〔永遠の不満足への浪費〕

「パチンコは負けるからこそ面白い」

ここにも一つの矛盾があります。
パチンコがもし,確実に稼げる方法であるなら,勝ったときに感じる興奮や満足は激減します。

勝って稼ぎたいと思っている反面,何の工夫もなく,考えることもなしに延々と勝ち続けることができる遊戯であったら(もちろん,広く浅くで稼ぎも微々たるものになるという前提の下での話ですが),確実に飽きます。

負けがあるからこそ勝ちの興奮があるのであり,その興奮を得るためにはある程度負けるリスクが絶対条件となります。
誰しも負けたくてギャンブルをするわけではありませんが,暗黙の了解で「たいていは負ける」ということに納得しています。

たまの「勝ち」の満足を得るために多くの「負け」を味わう必要があります。
もちろん,負けることに満足はありません。
満足が得られなければ,さらにお金をつぎ込みます。

パチンコは本来,手持ちのお金が無くなった時点で終了となるはずですが,そこで終わりと割り切れないのであれば,どこからかお金を捻出し,勝負続行,もしくは次回持ち越しとなります。
もちろん,「勝ち」を得ることもありますが,勝てばまた次も勝ちたいと願い,しかし永遠に勝ち続けることが出来ない(というかかなりの確率で負けることが前提)以上,どこかで負けを味わい,また「勝ち」を求めて…という無限ループに陥るしかなくなります。

どこまでも「たまの満足を味わうための不満足」を追いかけ続けるしかない浪費の無限ループの中では,多少の勝ちを得たとしても借金など減らせるはずもなく,さらに金銭問題を重症化させていくしかないのです。

今現在借金のない人は,どうしても歯止めが利きにくく,「まだ大丈夫」「少しくらいならいいだろう」といった思考に陥りがちです。
でも,一度借金をしてまでギャンブルをすることを覚えたら,抜け出すのは容易ではありません。

このサイト訪れて下さった方の中には,止めたくても止められなくて苦しんでいる方もおられると思います。


自分はまだパチンコをコントロールできている,と思っておられるでしょうか?
もし今納得できないとしても,実はとても生産性のない,ただ「パチンコをするという行為」に対してお金を使っているのだということを,どうか頭の片隅においておいてください。

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【家族との問題,そして家族の問題】

〔家族に及ぶ症状〕
パチンコ依存の典型的症状・金銭問題が悪化すると,ほぼ例外なく,被害は家族(生計をともにする同棲相手などのパートナーも,便宜的に家族に含まれると考えてください)に及びます。

*小遣いや生活費が足りなくなり,嘘をついて都合してもらう
*借金が返済不能になり肩代わりを頼む
*生活費を家族に渡さなくなる

直接金銭に関わることというと,こんな感じでしょうか?
たとえ一人暮らしをして,経済的に自立している人でも,よほど家族と疎遠でない限りは,何らかの形で(小額でも)援助をしてもらった経験のある方は多いと思います。

では,お金の問題を解決しさえすれば,家族との問題はスッキリ解決!でしょぱうか?

これが案外,そうでもありません。

家族にとって依存症者との関係は,裏切られることの苦痛の連続です。

〔依存症者の嘘〕

依存症が金銭問題に発展し,それが家族に発覚すると,多くの場合家族はその尻拭いに走るハメになります。

そのたびに家族は,依存症者に反省を促し,約束させます。

「絶対にやめる」
「もう二度と借金はしない」
「決してパチンコ屋には行かない」
「いい父親・夫(母親・妻)になる」
「約束を破ったら別れてもいい」

場合によっては誓約書を書かせ。身内の借金でも借用書を書かせ。離婚届に判を押し,配偶者に渡すこともあります。

ですが,依存症であるかぎり,依存症者はこの約束をあっさり反故にします。

少しの期間やめていても,いつの間にかまたパチンコ屋に通うようになり,借金の返済も滞り,ついには支払わなくなります。
誓約書は見てみぬふり。いろんな約束に伴う重荷を振り返りたくないがために,さらに依存行動は悪化します。

家族は繰り返し繰り返し裏切られ,再度誓約させては破られ,それでも尻拭いし,今度こそと約束を繰り返し,度重なる裏切りについには疲れ果てます。

〔枯れ果てていく約束〕

実際,どんな約束をさせても,「今度破ったら…」という条件をすぐに実行できる家族は稀だと思います。

今度こそ,と思いながら,再びチャンスを与えます。
繰り返される約束はどんどん形だけのものとなり,依存症者も「今度こそ」と思いはするものの守ることができず,パチンコは止められず,でもいつしか約束を守らなくても条件が実行されないことに慣れていきます。

家族の,依存症者への信頼は失われ,約束を実行できない自分にもいらだち,やがて不信感を抱えながらも諦めることに慣れていきます。

双方の慣れが絡まって惰性が生まれ,慢性的な停滞状態が長期に渡って続くこともあります。

実のところ,家族にとって,本当の問題は金銭ではありません。
信頼できない,ということが一番重要であり,苦痛なのです。

お金のことは,それなりの金銭感覚を持っていて,家族が力を合わせて頑張ればそれほど時間がかからずに解決することは可能でしょう(もちろん金額にもよりますが)。

ですが,また裏切られるのではないか,約束を守ってくれないのではないか,という不安とストレスは,そう簡単に癒えるものではありません。

私自身,依存症でありながら依存症者のパートナーを持っていた経験があります。
何度も約束しては破られ,嘘をつかれ,誤魔化されました。
泣いて,怒って,叫んで,でも何をしても,約束が守られることはありませんでした。
彼はお金を渡せば解決すると思っていたふしがありますが,実際は嘘をつかないでいてくれること,お金が無いなら無いと正直に言ってくれることのほうがずっとずっと大事でした。

そこに,手っ取り早く即物的に解決したい依存症者と,本質的な解決を望む家族との根本的なギャップがあります。

もし,あなたが,今パチンコを止めようとしている元依存症者だとしたら。
かつて,たびたび家族に嘘をついて現状から逃れようとした経験があるとしたら。

信頼を取り戻すには,自分で考えている数倍の時間がかかると考えていたほうがよいと思います。

たとえば,パチンコ依存症者が半年もパチンコを止められたら,自分はもう大丈夫だと思うし,自信だってもつでしょう。
だけど,今まで散々辛酸をなめてきた家族はそうは行きません。
数年,数十年の間に培ってきた不信は,数ヶ月では取り戻せません。

そこにまたギャップが生まれ,自分はもう信頼に値する人間になったと思いたい元依存症者と,まだ裏切りの苦痛を忘れられない家族がすれ違うこともあります。

理解されない苦痛に,何らかのストレスが加わり,再度リバウンド…というルートを辿ることも起こりえます。

信頼回復のためには地道に嘘のない行動を,覚悟を決めて長い時間をかけて実行していくしかないのです。
そしてそれ以外に,家族との信頼関係を再生する方法などないのだと思います。


〔家族側の無理解〕

では,家族は常に被害者なのでしょうか?

これがまた,そうでもないケースがままあります。

これは多くが,依存症に対する無知・無理解が引き起こすものです。

典型的にみられるのが共依存です。
自覚の無いままに,依存症者の世話をすることに自分の存在意義を見出し,依存症者が回復しようとするのを無意識に妨げます。
詳しくは「依存症ってどんなもの?〜嗜癖の3分類〜」の項をご覧になってください。

あるいは,そこまで深い問題はないにせよ,よく聞くのが,依存症者がせっかく依存対象を絶とうとしているのに,家族が次のような対応をしてしまうケースです。

*たまには行ってきてもいいよ,と促す
*よく我慢しているから少しだけとお金を渡す

家族としては善意で,元依存症者を喜ばせようとしているのですが,実のところこれは毒にしかなりません。
わざわざお互いが不幸になる,苦痛の種を撒こうとしているようなものです。

依存症でない人にはわかりにくいのですが,たとえば次のような状況を想像して下さい。

  *  *  *

あなたは,炎天下の外を小一時間ほど歩き回っているとします。
家まであと20〜30分としましょう。あなたは家を目指しひたすら頑張って歩いています。

外は暑く,汗もたくさんかいて,あなたは喉がカラカラです。
でも水も無く,お金ももっていませんから,乾きに耐えて家まで帰らねばなりません。

その時。
ある人が,よく冷えた水がなみなみと入ったミネラルウォーターのボトルをあなたに「どうぞ」と差し出します。

そして,こう言うのです。

「一口だけなら飲んでもいいよ」

さて。
あなたは一口だけで我慢できるでしょうか?

炎天下の下,喉はくっつきそうにカラカラで。
水は冷たく,たっぷりとボトルに入っているのです。

これを一口だけで我慢するのは相当難しいのではないでしょうか。
普通は,受け取ってついごくごく飲んでしまうか,1口のふりをして2〜3口飲み込んでしまうでしょう。
最初から一口分の水だけを与えられるならともかく,そこにはなみなみと水が入っているのです。

あるいは,断って我慢し,家まで帰ってしまうかもしれません(そのほうが多分楽です)。

   *  *  *

依存症者に,「少しくらいなら」といって1万円だけを渡したり,1時間ほど暇な時間を作ってあげるのは,これに等しい行為です。

ほんの少しで止められるなら,依存症にはならないのです。
止められないからこそ,依存症なのです。

あなたがもし,依存症者の家族であるなら。
これに類する行動は,依存症者本人にとっても,あなたにとっても,何のプラスにもならないので,絶対に避けるべきです。

あるいは,「絶対に行ってはダメ」と繰り返す行為も禁忌です。
せっかくパチンコと距離をおこうとしている依存症者の意識を,逆にパチンコ屋に向けるきっかけになるからです。

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または,もしあなたが回復途中の依存症者で,家族のこれらの(善意の)行為に少し困っているのなら。
一口の水の話をしてみてはいかがでしょうか?

依存者の苦痛を理解するために,少しは役立つかもしれません。

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