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■このサイトについて ■依存症ってどんなもの? ●依存症の意味 ●嗜癖の3分類 ●依存症になるのは 意志薄弱だから? ●依存症は治せるか ■パチンコ依存症とは? ◆ある依存症者 ―Kさんの場合 ◆パチンコ依存症を考える ●依存する心のプロセス ●パチンコ依存症者の 抱える問題 ●回復を求める時 ◆パチンコ依存の処方箋 ◆パチンコ依存症雑感 ■共依存症って何だ? ●共依存症の概念 ●イネーブリングという 考え方 ●共依存者の心の波紋 ●アダルトチルドレン ●共依存を疑った時は ■本のご案内 ―依存症を知りたい時に
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■パチンコ依存症とは?■ ● 依存する心のプロセス 【パチンコ依存症概略】 依存症のなかでも,パチンコ依存症って,どんなものだったでしょうか? 「依存症ってどんなもの?」の内容にも重なりますが,もう一度簡単にまとめておきたいと思います。 「パチンコ依存症」は,ギャンブルの中でも,特にパチンコ・パチスロに嵌ってしまう過程嗜癖の一種です。 過程嗜癖とは,ギャンブル,買い物,仕事など,ある行為・行動に対する嗜癖です。 「○○好き」が嵩じて,それが生活や思考の中心になってしまう。 パチンコ依存症の場合は,パチンコ・パチスロをするという目的のために,あるいはパチンコをやりたいという衝動を押さえることができず,生活上の責任(仕事,家事,育児など)を放棄したり,返済不能になるまで借金を重ねるようになります。 本人はあまり自覚がないことが多いのですが,一番の目的は「パチンコをすること」(正確にいうと「お金を賭けてパチンコをすること」―自宅に実機を置いて遊んでたって満足できるわけではないので)なので,勝っても負けても,結果にかかわらず,結局はやめることができません。 負けてもどうにかお金を調達してまた行ってしまうし,勝ってもそのお金は次のパチンコの種銭になるだけです。 だからといって,お金は関係ないのかというと,決してそうではありません。 お金を賭ける,そしてそのお金が動くからこそ, 高揚感・危機感という激しい感情の動きが伴うのですから。 これは,経験したことのある方はすぐにわかると思うのですが, 普通に日常生活を送っていてはなかなか味わえない刺激です。 強烈な刺激に引きずられたとき,一時的に自分の置かれている現状からの乖離状態に置かれます。 早い話が現実逃避なのですが,単に現実から目をそらしているわけではなく,その空白部分を十二分に埋めるだけの刺激があるので,たとえ現実逃避の意識があっても,なかなかこの感覚を味わいたいという気持ちを断ち切ることはできません。 単に刺激を楽しんでいるのではなく,刺激によって眼前の現実から乖離できることが重要なのです。 その感覚を味わいたい,パチンコをすればそれが味わえる,という無意識の心理プロセスが,パチンコに対する精神依存を深くします。 精神依存が強まれば強まるほど,パチンコをしている間はもちろん,パチンコ屋に行くきっかけさえコントロールできなくなります。 コントロール障害―それこそが依存症の根幹です。 【どうしてパチンコだったのか】 「どうしてパチンコだったんだろう」 今更ながら,そんなことを考えたりすることがあります。 「依存症」というのは,「依存すること」そのものが大事なので,どうしてもこの対象でなければならない,ということはあまりないのではないかと思います。最初に望む種類の快感を与えてくれたものに依存する,というか。 だから,一つの依存症から抜け出しても,すぐに次の対象に依存する(もしくは別の依存対象を見つけたから,前の依存症から抜け出すことができる)とか,いくつもの対象に依存してしまう(クロス・アディクション)ようなことが起こってきます。 私自身は,パチンコ依存症でありニコチン依存症でした。 体質的にアルコールに弱いのでアルコール依存症にはなりませんでしたが,もしアルコールに強ければ,おそらく先にアルコール依存症になっていたような気がします。 パチンコをやって,最初に楽しいと思った理由は,それが「ゲームのようだった」からでした。特にスロットは,ただハンドルを握っているだけのように思えるパチンコと違って,自分で目押しする分,さらにその要素が強く感じられました。 そこへ,少し慣れると「攻略」の要素が入ってきます。 正確な目押しとか,立ち回りとか,天井とか,設定の推測とか。 なまじ,理論で多少なりとも勝率が上がるのでは,と思わせられる分,頭のいい人(もしくは自分でそう思っている人)が案外嵌りやすいように思います。 また,パチンコは孤独な遊戯です。 誰かと一緒にいたとしても,打っているのは自分ひとりです。 誰かとペースをあわせる必要もないし,気を使う必要もありません。 誰かに文句を言われるということも,(滅多なことをしなければ)普通はありません。 自分独りで台に向かい,独りで考えて,誰にも邪魔されずに黙々と打てます。 人付き合いが苦手で,コンプレックスが強く,でも成績は平均以上で,お酒が弱くて手軽な気晴らしもできないタイプだった私には,格好の嗜癖の対象だったと,今となってはよくわかります。 そこにもう一つ,大きな理由がありました。 「はみ出している」という感覚です。 賭け事をする人って,いくらパチンコが一般的なレジャーの一つと認められたとしても,やっぱり少し「悪いことをしている」ような感覚が付きまといます。 基本的に真面目な性格で,社会の規範をそれほど逸脱することもなく,周囲にも「真面目な良い子」で通ることの多い私にとって,賭け事をするということは自分の行動規範を大きく壊すことでした。 それは,それまで自分が取り繕ってきた「ちゃんとした人間」とのギャップを体現することでもありました。 自分の嫌な部分とか。みっともない部分とか。情けない部分とか。 独りで無言でパチスロをしている自分は,そういう部分が凝縮されているような気がしました。 今でも,ふっとパチスロのことが頭をよぎることがあります。 それは,対人関係で強いストレスを感じたときや。 あるいは強い自己嫌悪に陥ったとき。 自分に対して強いマイナスの感情を抱いた瞬間が多いようです。 軽い気晴らしではないところに,自分の依存の根の深さを感じます。 どうして「パチンコ依存症になったのか」を考えるときに,「ストレスからの逃避」とか「自分に甘いから」といった結論で終わらせずに,どうしてそのストレスから逃げなきゃいけないのか,どうして自分の手綱を緩めてしまうのか,そこまでじっくりたどってみると,また違ったいろいろなものが見えてくるかもしれません。 【パチンコ依存に嵌りやすいタイプとは?】 パチンコ依存症になった自分を振り返るとき,大抵の人がこんなことを考えるのではないかと思います。 (なぜパチンコ依存症なんかになったんだろう?) (自分のどこがいけなかったんだろう?) (どこで間違ったんだろう?) パチンコ依存症が病気だというなら,どこかに病因があるはず。 うつ病のようなものでしょうか?それとも人格障害? 遺伝的な要素なんだろうか? 正直,どこかに明白な病因があるなら,治療法もきっと見つけやすいと思います。 自分自身が「パチンコ依存症」であると思う人より,きっと家族などのほうが深刻ですし,つける薬や効果的な治療法があるなら何とかして,と思うことでしょう。 ですが,実際のところ,人格障害や脳障害などの原因は,おおむね否定されているようです。 解明されていない部分もあるので,全部が違う,というわけではないと思いますし,今後見解が変わる可能性もあるのですが,今の段階ではそのような考え方はされていません。 よくヤリ玉に挙げられる脳内物質「ドーパミン」や「β-エンドルフィン」も,精神医学の分野ではそれほど重要視されていないように思います。 これらの分泌は事実ですし,快感物質であることも間違いないので,全く無関係とはもちろん考えられていません。 ですが,快感物質=依存症,という形では,今のところ結びつけられていないようです。 分泌された物質の作用よりも,そこに至る精神的プロセスの方が重要ということでしょうか。 実際,ドーパミンやβ-エンドルフィンが出るのは誰でも同じで,これらが出ても依存しない人,する人がいるんですよね。 ドーパミンやβ-エンドルフィンが分泌されることより,なぜその快感に依存してしまうのかが問題なのだと思います。 依存症だと自覚するときは,どこかで自分を責める要素が発生した時です。 それは,パチンコをするために生活費に手をつけたり。 パチンコのために仕事をさぼってしまったり。 誰かとの約束を,嘘をついて反故にしてパチンコに行ってしまったり。 何らかの「間違った行為」をしてしまった時だと思います。 自分を責める思考回路に陥ってしまった人は,自分の欠点とか,弱点などをあれこれと並べたてて,攻撃対象にしてしまいやすいです。 「わがまま」「甘えてる」「辛抱が足りない」「自制心がない」「弱い」 だから自分はダメだ―なんてダメな人間なんだ― 実は,こういった自己否定感というのが,依存症の人にそもそもありがちな心理的傾向だといえます。 「どうしてパチンコだったんだ?」の中で,私の個人的な例として,パチンコに嵌った理由をいくつか挙げました。 ・遊戯の要素があったこと ・理論的に対処できそうに思えたこと ・他人と関わらないですんだこと もちろん,全く別の理由で嵌る人もいるのであくまでも一例にしかなりませんが,これらの理由を一つ一つじっくり考えてみると,依存症者の性格的傾向がみえてくるように思います。 〔3つの傾向〕 そもそも,パチンコ依存症なんて,なりたくてなる人なんているわけありません。 でも,パチンコ自体は好きで打ってる。とてもとても,好きで打ってる。 好きで打ってるから,止められない。 「もうダメだ,止めよう」なんて思っても,決意したその日からあっさり止められる人って,ある意味「依存症の風上にも置けない」んです。 あるまじき話。というか,こういう人は依存症じゃないですけどね。 でも,いくら好きだっていっても,犠牲にしているものは半端じゃない。 ・汗水たらして働いた給料 ・彼・彼女とのデート,プレゼント資金などなど,相手が喜ぶこと全部 ・家族の安心と笑顔 ・就職や資格や将来の夢 ・周囲の人々からの信用や信頼 ・・・etc,etc... 何のために生きているのか,頭を抱えたくなるような捧げ物の数々。 貢ぎ先はもちろんパチンコ屋。 自覚はあるけど後悔するけど。 やっぱり止められない止まらない。 依存症の典型的症状ですね。 みんながみんなあてはまるわけではないんですが,依存症になりやすい傾向の人,というのは実際にいるそうです。 キーワードは3つです。 1つ目:「他人が苦手」 パチンコ依存症って,とても閉鎖的だと思うんです。 例えば,アルコール依存症だと,アルコールを摂取することによって,対人関係をスムーズにする要素があったりするわけです。 普段言えない事が口に出せたり,人と楽しく騒げたり,人が変わったように積極的になれたりします。 つまり,解放の要素があるんです。 それに比べればパチンコは,ひたすら独りで打つというのが基本です。 確かに,周囲の人がみんな打ってるから,自分も打っていないと話が盛り上がらないよ,という人もいると思います。 ですが,普通に考えて,人と話をあわせるために,何十万,何百万もの借金をしたり,家族や友人など大事な人との約束を繰り返し反故にしたりはしませんよね。 むしろ,こういった話題の共有は 「パチンコに嵌っているのは自分だけではない」 =「自分はまだパチンコ依存症ではない」 =「危険なほどパチンコにのめりこんでいるわけではない」 という安心感を得るために行っているように思います。 もう少し厳しい言い方をすれば,自分より大変そうな(不幸そうな)人を見つけて,「自分はまだまだ大丈夫」と余裕を持ちたい,というような心理が働いているのです。 こんな人間関係に,本当の信頼の要素ってあるのでしょうか? 十人と一緒にいたって,孤独な一人が目に浮かんできます。 そう,とっても孤独なんです。 機械を相手に延々と何時間も打ち続けるんです。 打ってる間は食事もいらなかった,なんていう人も多いと思います。 黙々と,台だけを見て。 そんな姿には,孤独と閉塞感が感じられます。 好んで孤独と閉塞感を求める姿からは,対人関係を苦手とする心の断片が見え隠れします。 対人関係が苦手,というのは,人見知りが激しい,なんていうのが分かりやすいですが,そういうパターンだけでなく,例えば表面上は適当に人当たり良く調子を合わせられるけど実際は本心とのギャップに苦しんでいる,とか,周りにしきりに自分の良さや実績をアピールする(自慢話が多いように見られるタイプですね)けど,周囲は自分が期待するほどにはわかってくれない,というようなこともあります。 望むコミュニケーションが得られないがゆえのジレンマから,他人から距離を置こうとする,という傾向は,少なからずあるように思います。 2つ目:「高い要求・低い評価」 「Kさん」の例を参考にしてみましょう。 Kさんは,とても真面目な人でしたね。 堅実で,そして小心な人でした。 仕事にも一生懸命でしたし,夢も大事にしていました。周囲にも気を使うタイプでした。 だからいつも必死で。 心に余裕がありませんでした。 心の中は「人に迷惑をかけちゃいけない」とか,「人に嫌われたらイヤだ」とか。 周囲の人の評価を恐れる気持ちでいっぱいでした。 自分がどうしたいとか,自分はこう思うとかは,どうでもいいのです。 誰かに認めて欲しい。誰かに「いい」と言って欲しい。 もっとはっきり言えば,誰かが評価してくれないことには,自分自身を信用できないのです。 全く自己肯定できないのです。 誰かに評価して欲しいといったって,他人だって自分のことに忙しいので,そうそう評価なんてしてくれません。 してくれたって,それが正当かどうかなんて怪しいものです。 結果,周囲の人のちょっとした反応にびくびくすることになります。 ちょっと不機嫌に対応されただけで,自分の全人格を否定された気がしたり,仕事などでミスをすると,自分が全くの能無しであるように思ったり,家族ともめると,自分などいないほうが家族は幸せだ,などと考えたりします。 自分に課すハードルは高く,その割に自己評価は低いので,常に理想の「あるべき自分」との大きなギャップに悩まされるようになります。 日常生活において,なかなか自分に満足したり,自信をもったり,達成感を感じたりすることができません。 そこへ,ばったりとパチンコに出くわしてしまいます。 最初はドキドキワクワクのスリルを楽しむだけ。 でも,うっかり出てしまうと,戦利品としてのお金を手にすることができます。 繰り返し打つようになると,遊び方がわかってきます。 目押し,釘の読み方,設定の推測,効率のいい打ち方… 「攻略」や「立ち回り」で多少なりとも勝率の上がり,何も考えずただ打っている他の人よりも自分は勝っている気がしてきます。 まして,そこでは勝利した証として「お金」が手に入ります。 普通に働いていては絶対手に入らない臨時収入です。 欲しかったものを買えたり,家族にお土産を買って帰ったり,友達に気前よく奢ってあげたり。 ギャンブルで手にしなければ,ありえなかった優越感です。 まやかしであり,一時的ではありますが,遊戯性の高いギャンブルによる興奮に加えて,日常の生活では味わえなかった自己肯定感,充足感を得ることができるのです。 自己への高い要求と低い自己評価の間で抱え続けてきたストレスから,つかの間でも解放されます。 逃げ場もないほど自分を追い込んでしまう人であれば,この瞬間がどれほど救いになっているでしょうか。 逆に,例えば自慢話が非常に多いなど,一見自己評価の高そうな人っていますよね? こういう人もパチンコ依存症者には多いような気がします。 大して勝っていないのに大げさに話をしてみたり,いかに自分の立ち回りが上手かったか,いかに自分が上手に儲けたかを得々と,聞かれもしないのに披露してみたりします。 自信満々。自意識過剰。そう,はた迷惑なくらいに。 ですが,こういう人って,逆に言えば,誰も言ってくれない(評価してくれない)から,自分でアピールするしかないんです。 そして,「すごいなあ」「上手いんですね」「とてもそんなこと出来ない」などの肯定的評価の言葉を貰おうとしているのです。 わざわざ人に言ってもらわなければ納得できないわけで,これは実際は自己評価が低い,自分で自分を肯定できないことの裏返しです。 3つ目:「自分はこんなものじゃない」 「プライドの高さ」も,パチンコ依存症になる一つの要因になりえます。 分かりやすいのは,「Kさん」の〈彼のパパの話〉でしょうか。 若い頃から職人世界で仕事を仕込まれ,さあこれから,というときに職を奪われたお父さん。 相当に悔しく,情けない思いをされたことだと思います。 新しい職場にもなかなか馴染めなかったようですが,その根底には「自分はこんなところで働くような人間じゃない」という思いがあったのでしょう。 自分はこんなレベルの人間じゃない,もっと出来る,もっと認められてしかるべきだ,という気持ちと,自分の現状との間に大きなギャップがあると,当然ストレスが生まれます。 なら,現状をよくするべく更なる努力を重ねればいいようなものですが。 なかなか人間はそこまで理想的に動けるものじゃありません。 それに,もし理想を持って頑張った結果が好ましいものでなかったら? 自尊心の高い人は著しいアイデンティティ・クライシスに陥ります。 だったら,そこまでせずに手っ取り早く何かでストレスを解消した方が楽ですよね。 誰からも干渉されず,誰に気を使うことも無く,ただ座って打っているだけで,上手くいけばお金が稼げてしまうパチンコは,まさにうってつけなのではないでしょうか? まして自尊心の強い人はたいてい負けず嫌いです。 たかが機械に何万円も取られてしまったり,隣の人はどんどん出しているのに自分だけ出ていない,となると,当然アツくなり,止めるタイミングなど見失ってしまいます。 勝ち負けをコントロールしようとして,自分自身のコントロールを見失うのです。 また,こういうタイプの人は自身がパチンコ依存症であると認めることを非常に嫌がります。 自分のギャンブルに問題があると気づく頃には,相当な深みに嵌っている可能性があります。 * * * * * 何十万,何百万人といるといわれる潜在的ギャンブル依存症者のすべてが,これらの3つの特徴に(あるいはこのどれかに)必ずあてはまるのかどうかはわかりません。 ですが,自身が依存症ではないかと疑いを持ったとき,単に「意志が弱いからだ」といったコントロールの問題で終わらせていては,結局,崩壊したコントロール力で何とか自分を押さえつけようとするという,およそ抑制力の無い手段をとることしか考えられなくなります。 繰り返し言っていますが,依存症はコントロールの障害なのです。 |
| まづきの根っこは,意外に深いところにあるのではないでしょうか。 少しでも自分の心のシステムを考えてみるのは,とても大事なのではないかと思います。 |