ココロの荷物のおろしかた

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共依存症ってなんだ?■

●共依存症の概念●



今までも「依存症ってどんなもの?」や「パチンコ依存症とは」でも何度か触れてきた
「共依存症」。

おそらく,アルコール依存症やパチンコ依存症に比べて,
認知度はさらに低いのではないかと思います。

ですが,依存症者のそばには必ずと言っていいほど共依存症者がいる…と言われています。
深刻化した依存症者の家族には,共依存症者がいることは非常に多いです。

また,自身がアルコール依存症やパチンコ依存症でありながら,共依存も抱えているというケースも少なくありません。
実のところ,私もこのパターンでした。

認知度に反比例して,底辺は非常に幅広い依存症ではないかと思います。

共依存とは,すなわち人間関係に対する依存です。
一般には,特定の依存症者に対して過度に世話をしたり,行動をコントロールすることに力を注ぎ,そこに自分の存在価値を見出している状態のことを差します。

例えば

*アルコール依存症者の飲酒を止めさせようと,家中の酒を隠す。
*パチンコ依存症者のパチンコをやめさせるために,小遣いを一切渡さず,金銭管理の全てを他の家族(多くは配偶者)がやる。
 あるいはパチンコで作った借金を全て代わりに返済してやる。

などが非常にわかりやすいパターンです。

ですが,これらは本来,愛情溢れる行為であるはずですよね?

アルコール依存症者がお酒を断つのに協力し,パチンコ依存症者の作った借金を清算して新たに人生をやり直させてやろうというわけですから。

しかし残念ながら,これらの行為は,知らず知らずのうちに依存症者の依存度を深刻化させる手助けをしていることがほとんどです。

なぜなら,酒を隠された依存症者は単に「酒を取り上げられた」から飲めないのであり,自発的に「酒を断つ」と決意しての断酒ではなく,酒を飲まないことに納得していないので,自律的に断酒するという意識が育ちません。
例えばつきあいなどで「飲むチャンス」が訪れてしまった場合,無理やり取り上げられていた分,反動で飲酒が加速することはほぼ間違いありません。

パチンコ依存症の場合も同様で,周りは再出発のチャンスを与えるつもりで借金の清算をしてやっても,本人は自分の借金返済になんら苦労をしていないので,無意識に「金は借りてもなんとかなる」という感覚が育ってしまいます。

結果的に,周囲の人間の援助は,依存症者の依存度を深刻化させたに過ぎません。


「ある依存症者―Kさんの場合」で振り返ってみましょう。
「パチンコ依存と共依存―2つの深み」の項目を読んでみてください。
特に〔Kさん,ついに限界を超える〕では,Kさんと「彼」の関わりについて書かれています。

お金にルーズで,収入も不安定で,でもパチンコ大好きだった「彼」へ,Kさんはお金を渡し続けていました。
Kさん自身,それを「思いやり」や「愛情」,やがては「彼によってもたらされた不幸」と感じていましたが,実際には,そうすることでますます状況を悪化させていました。

もう一つ,参考になる例は,〔彼のパパの話〕でしょう。
借金をしては,家族に穴埋めを協力してもらい,それでも返してしまえばまた借りて…を繰り返す「彼」のお父さん。
「彼」のお父さんとお母さんの間にもまた,この「共依存」が存在していたのです。


もともと,日本の社会というのは非常に共依存的だと思います。

「個」よりも周囲との「和」が尊重されます。
「身内の恥」など,「家族の問題は家族で解決しなければならない」という意識が非常に強く,「家族の誰か一人の問題は家族全員の問題」というような考え方をしがちです。

それゆえに,夫がアルコール依存になるなんて妻としては恥だとか,子供が借金を作って周囲に迷惑をかけるなんて許されないので親が代わりに払って当たり前だとか,「家族は一心同体」という認識のもとに,本来問題行動をやめさせるために効果的な方法とは反対のやり方を選択しがちなのです。
サイトマップへ むしろ(特に一昔前なら)「献身的」「美徳」と称されてもおかしくないようなこれらの行為がどうして問題点になるのでしょうか?

それを説明するのが「イネーブリング」という言葉です。

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